根っこの性格とは違う、外面というのが出来たのは、一般的よりもたぶん遅めの、中1だと思う。
教室に入ろうとしたら中で私の話題。『あのこムカつくよね』って言葉を聞いた瞬間だった。
それまでは自分ルールにのっとった自由奔放な性格でした。
人からの目なんてたいして気にせず我が道を行くわりに案外意外と友達がいた。
みんな優しかったんだな。いまだに、小中の友達と繋がってる。
だけど、癇癪持ちで切れて暴れて学校にもあまり来ない、そんな小学生時代。
多少のイジメはあったけど気にならなかった。(多少は、明日殺してやる、とか言ってたくらいには、強気に気にはしてたみたい)
気性はだいぶ落ち着いたたぶん中学生くらいのとき、漫画の貸し借りが流行った。
少年ジャンプの名作。元の持ち主は男の子。ぐるぐると貸し借りされていて、一巻が私の元に来た。
読んだ。すごく好きだった。どうしても続きが読みたい!!!
とは言え、派手ではなく話しかけたら喜ばれないってわかってた私は持ち主に続きを貸してなんて言えない。
私は親と古本屋さんや本屋さんに行くたびにちょっとずつ買い集めてた。
最初に面白いよ〜と貸してくれた人たちの誰よりもハマったし詳しくなったしジャンプも買ってた。
全巻集めたよ
来週最終回だね
いまとなったらわからないけれど、
たぶん、別に自慢でもなく、普通に言っていたんだと思う。
だけど、それは、好きな子紹介したら、勝手に付き合ってた、みたいな、好きなものを取られた、という感覚を与えたらしかった。
あの子に言うと取られるから、ムカつく
って言葉に、ハッとした。
考えた事もなかった感覚だったけど、理解が出来た。私が悪い気がした。
それまで喜怒哀楽が素直にはっきりしていた私は、
そのとき、とにかく悲しかった。
ムカつくわけでもなく、恨む気持ちもなく、そうだよな、でも悲しいな、悲しいな、だった。
そのまま笑いながら教室に入った。
それから、よく笑う子になった。
笑ってなんでもスルー出来るようになった。
それから切れることは、大人になるまでなくなった。
でも、専門学校でまともにお芝居を始めたとき、笑えるけど泣いたり怒ったりが出来ないね、と言われた。
あぁあのとき怒ることを止めたんだなぁ…と思った。
それから、一緒に芝居を作る人と、人生を共に歩む人には言いたい事をいい、ちゃんと喧嘩する。
はじめて外の劇場を借りて公演する稽古帰り博多駅の構内で怒鳴りあいの喧嘩をした。
自分の信念を汚すモノには真っ向ぶつかった。
泣いたり怒ったりするようになった。
その全部は、意図をわかりたいし、わかって欲しいから。
きっと憤ったりイライラする人は、優しい良い人で自分にも人にも人生にも期待をしてる。
だから、思い通りに行かないくて憤る。
すごく良いことだけど、本当に大切なモノを見極めてイライラしないと、疲れちゃうよ。
何にでも完璧目指して生きてたらつかれる。
基本的には楽観的に、嫌なことがなければラッキー、幸せだし、ごはん食べる時間があるだけでハッピーだし。
だけど、絶対本気で向き合いたいモノだけは愛想笑いで誤魔化さない。
それだけは、自分を甘えさせない、完璧を目指す。
人生と、夢。
私は、それだけは中途半端にやる人と関わりたくない。
でもそれは、私が人生をかけている事案なだけ、相手は違うかもしれない。
私にとっての、今日の晩御飯に過ぎないのかもしれない。携帯にいれたアプリゲームに過ぎないのかもしれない。
そう思ったら、相手にも求めるのは、間違ってるなぁって気づく。
だから、次は関わらないって決めるだけ。
そんなこんなで、毎日基本的には楽しく、たまに心悩ませ、だけど、幸せです。
ツイッターに、“ムカつく”と言ったことのある人すべてに、と書いたら思い出したから書いてみたの。
私だって、たぶん言ってる。もっと汚い言葉で罵りもする。
だけど、それは、家族やどうかどうか身近な仲間だけに吐く方が良い。
誰彼が聞いて気持ち良いモノではなく、吐いたあなたが綺麗になるわけでもない。
唯一、愛がある相手だけが黒い言葉を笑って受け流して白くしてくれるんだと思う。
ましてや、ネットなんて延々ふわふわと漂う場所に黒い言葉を吐いたら延々自分も汚れ続ける。
毒を吐きたくなるほどの相手なんかのために、汚くなるなんて、もったいない。
嫌いな奴にはさよならとにこやかに手を振ってくださいまし。
余裕があれば、知ろうとしてくださいまし。
自分とは違う価値観、考え方を知れて、自分がおっきくなれるはず。
意外と嫌いな人ほど、後で大切な人になったりするよね。
大好きな人には捻くれず、たとえ報われぬとも、
いつか自分が幸せになれるように、まっすぐに想いを伝えて、そして、前を向きましょ。
なーんて、考える人なんですって、さかいさん。ふーん、って、受け流して頂ければ幸いです。
